「こいつは近界民ネイバーを引き寄せる人間なんだ。」



警戒区域から近いこの弓手町駅は、随分前に廃線となっており、ホームはしんと静まり返っている。

あれから、話したいことがあると言う三雲に連れられ、ここにやってきたなまえは、何やら込み入った事情のありそうなその様子に、あまり関係のない自分がこの場にいても良いのだろうかと不安を抱いた。しかし、誰もそのことについて触れてこないどころか、むしろ彼女も居て当然といったような顔をしている。
それなら、いいか。もしかしたら、こんな自分でも何か彼らの力になってあげられるかもしれないし。そう考えた彼女は、他の二人と同様に大人しく三雲の話を聞くことに専念した。


まず三雲は、二人に件の少女を紹介した。雨取千佳というらしいその少女は、三雲が世話になった先輩の妹で中学2年生だという。
そして、彼が言うに雨取千佳は、非常に近界民に狙われやすい人間らしいのだ。一体どういうことだと首を傾げるなまえの隣で、空閑は「ふむ」と顎に手を当てながら口を開いた。



「近界民に狙われる理由なんて、トリオンくらいしか思い浮かばんなー。」

「トリオン…!?トリオンが何か関係あるのか!?」

「関係あるもないも、こっちの世界に来る近界民は大体トリオンが目的だよ。」

「えっと、トリオン?……って?」

「ああ。トリオンっていうのはーー」



空閑はトリオンを知らないなまえと雨取のためにトリオンの簡単な説明をした上で、近界民が人間を襲う理由を説明した。
空閑曰く、トリオン能力が高い人間は生け捕りになり、トリオン能力が低い人間はトリオン器官だけとっていく。そうやって集めた兵隊とトリオンを、“むこう”の戦争で使うらしいのだ。
近界民的にはトリオンの強い人間の方が欲しいらしく、雨取がしつこく狙われているのならば、彼女のトリオン能力がそれだけ高いのだろうと彼は推測した。

「なんなら試しに測ってみるか?なあ、レプリカ。」空閑がそう言うと、『そうだな』とどこからか知らない声が聞こえてきた。彼の黒い指輪から、にゅうっと出てきた黒い何かに、なまえと雨取はビクッと肩を揺らす。



『はじめまして、チカ、ナマエ。私はレプリカ。ユーマのお目付け役だ。』

「「は、はじめまして…。」」



その姿を見たなまえは、兎の耳を生やした黒い炊飯器みたいだと思ったが、さすがにそれを口に出したりはしなかった。





死にたがりな幼馴染08





雨取のトリオンを計測中、「そんなにはっきり近界民に狙われてるなら、ボーダーに言って助けてもらえばいいじゃん」と空閑が言った。
確かにこういう悩みは、まず近界民と唯一戦う術を持つボーダーに相談すべきだろう。しかし、三雲は難しげな顔をしながら首を横に振った。



「……千佳は、他の人間を巻き込みたくないらしい。」

「……。」

「ふむ…?」

「他人を巻き込むくらいなら、一人で近界民から逃げ続ける。そういうわけわかんないやつなんだ。」



ホームのベンチに腰を掛け、レプリカに計測してもらっている雨取を見つめながら、三雲は困ったように言った。…ああ、だから、さっき一人で警戒区域の中に入ろうとしていたのか。そう納得したなまえの顔に、憂愁の影がさす。

彼女はずっと一人で近界民と戦ってきたのだろう。きっとすごく怖かっただろうに、誰かに頼ることもできなくて、つらい思いをたくさんしてきたに違いない。近界民を前に身体を震わせていた雨取を思い出し、なまえは苦渋の表情を浮かべた。

三雲の話を聞いた空閑は、「……なるほどね。そんで、オサムはチカを助けたくてボーダーに入ったわけか」と納得したように呟く。すると、三雲はカッと顔を赤らめ、慌てて否定の言葉を口にした。



「別にあいつを助けたいわけじゃ…、ぼくは街を守るために、」

「おまえ、つまんないウソつくねー。ごまかす必要ないだろ。誰かを助けたいってのは立派な理由じゃん。」

「……そんな立派な話じゃない。ぼくがボーダーに入ろうと思ったのは…、何もできない自分に腹が立ったからだ。」



拳をギュッと握りしめる。三雲の若草色の瞳には、並々ならぬ決意の色が見て取れた。



(何もできない自分、か…。)



三雲のその言葉を聞いたなまえは、すっと目を閉じ、あの日の情景を瞼の裏に蘇らせた。

遠ざかっていくその背中に、必死に手を伸ばして、一人は嫌だと泣きじゃくって、それでも二人を引き止めることができなかった。なまえが人生で一番後悔している、あの瞬間。


もしも、伸ばしたその手が、彼らに届いていたのなら……
自分に、大切な人達を守れるくらいの力があったなら……

何度も、何度も思い描いた、“もしも”の世界。そんな仮説を立てたところで今更もう遅いのだとわかっているけれど、どうしても考えられずにはいられなかった。



『計測完了だ』とレプリカが告げる。見ると、雨取の頭上には三雲が測ったときに現れたものより、何十倍もある立方体が浮かんでいた。その立方体の並外れたサイズに、あの空閑さえもが「うおお…!」と感嘆の声を上げている。



『これほどのトリオン器官はあまり記憶にない。素晴らしい素質だ。』

「すげーな。近界民に狙われるわけだ。」

「っ、感心してる場合じゃない…!千佳が狙われる理由はわかった。問題はそれをどう解決するかだ!」



三雲が気忙しく問題提起したことで、みんなの視線が立方体から雨取自身へと注がれる。困ったような笑みを浮かべる雨取に『やはり、』とレプリカが口を開いた。



『最も現実的なのは、ボーダーに保護を求めることだと思うが、』

「でも、チカはそれがイヤなんだろ?」

「……う、うん。あんまり他の人に面倒かけたくない…。今までも一人で逃げて来られたから、これからも多分大丈夫だよ。」

「っ、」



ズキン、と胸が痛みだす。雨取の何かを耐えようとしている笑顔を見て、なまえはそれが本心でないことを悟った。一体、なにが大丈夫なのか。弦を震わすような声で、彼女は問いただした。


「本当に?」と。



「え…?」

「本当に、あなた一人で平気なの?一人で警戒区域を彷徨うのって寂しくない?怖くない?誰の助けも、本当にいらないの…?」



真っ直ぐに見返した瞳が揺れている。そんな不安げな彼女の姿が、4年前の自分と重なってみえた。

“もしも”の世界を考えたって仕方ないし、過ぎてしまったことは、もうどうにもならない。けれど、過去じゃなくて、未来のことなら変えることができる。
なまえは雨取の膝上に置かれた小さな両手に、そっと自分の手を重ねた。今ならこの手を掴まえることができる。なまえはもう誰も失いたくなかった。

その気持ちは、きっとこの子も同じはずだ。



「それで、もし、死んじゃって……大好きな人達に会えなくなったとしても、」





“後悔しないの?”





「わ、わたしは……」



コツッ


「「「!?」」」



コツ、コツ、と二人分の靴音が響く。続いて、聞こえてきた冷ややかな声は、なまえにとってひどく聞き慣れたものであった。



「動くな、ボーダーだ。」



秀次、と消え入りそうなほど小さな声で呟く。鋭い視線に射抜かれて、息が止まってしまうかと思った。

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